岩山仁のメッセージ

言われてみれば当たり前のことですが、私達はもうすでに、たくさんの大切なものに囲まれて生きています。そして、たくさんの人々やたくさんの命に支えられて生きています。

私達が毎日あたりまえのように食べているもの、それはすべて何かの命を頂いているということです。でも、そんなことへの感謝も忘れて、あたりまえのように食べてはいないでしょうか?

あるいは、ダイエットのために残したりとか、賞味期限が切れたといって捨てたりしていないでしょうか。

毎日食事ができる、安全な水が飲める、自分で呼吸ができる、自分の足で歩ける、雨風をしのげる家がある、命の危険を感じることなく眠ることができる。

そんなことすべてが、そうすることができない人にとっては、とてつもなく幸せなことなのに、そんなことに気づきもしない毎日を過ごしていないでしょうか?

 

世界には「あなたの夢は何ですか?」そう尋ねられて、「私の夢は、大人になるまで生きることです」そう答える子供たちがいます。大人になるまで生きられない。そんな子どもたちが世界にはたくさんいます。

私達が何か不満を抱えたり、幸せを感じられずに、なんとなく過ごしてしまった一日は、どうしても生きたいと思いながら死んでいった子どもたちの一日と同じ一日なのです。

あたりまえのような日常の中で、あたりまえのように明日がある、と思ってしまいますが、実は刻一刻と、私たちの命も減っていっているのです。

今この瞬間が、命そのもの、なんですね。

改めてそう思い直して初めて、今過ごしているこの一瞬が、どれだけ大切なものか、どんなに感謝すべきことなのか、わかるのかもしれません。

 

でも、今の世界では、そんな過酷な状況の中で必死に生きる子供たちがいる一方で、たとえばこの日本では、毎年3万人を超す人々が自殺をしています。

今年も過去最悪のペースを更新しているという報道がありました。3万人、といえば、イラク戦争で2年間に死んだ人の数より多いんです。兵士と一般市民と合わせた数です。

一見平和に見える社会で、モノがあふれて、豊かに見える社会で、そんな戦争で死んでいった人の数より多い人たちが、毎年毎年自殺をしている。異常なことですよね。

 

でももちろん、なにも自分で命を絶った人を責めているわけではないんです。

先程僕も鬱になったお話をしましたが、僕にはその人たちの気持ちがよくわかります。

僕も会社を立ち上げて、いろんな思いもよらないことが重なって、非常に大変だったとき、家族がいるので、とりあえず終電では家にかえるのですが、帰った後でまた仕事をして、3時、4時に少しは寝なきゃと思って寝るんですが、5時頃に、どうしようもない不安感とともに目が覚めるんです。

もう不安というより恐怖感なんですね。

これからどうしよう、あれもこれもできていない、会社もこのままでは立ち行かない、子どもたちもまだ小さいのにどうしたらいいんだ、といったことがない交ぜになって、どうしようもない恐怖感に襲われて、おなかの中に大きな穴が開くような感覚で、まだ幼かった長男を抱きかかえて震えているようなことが何ヶ月も続いたことがありました。完全に鬱の症状のひとつですね。

そうなると外に出るのも怖いのですが、知識としてはそういうことは知っていたので、そこで一日でも休むと、もうダメだと思って、毎朝とにかく会社に行くわけです。

でもそんなときにホームで電車を待っていると、電車が来たときにふと、「ここで飛び込んだらもう全部終わるんだよな」とか思うわけです。「そうしたら、楽になる」と。

でも、僕がそこで踏みとどまれたのは、僕の場合は、子どもたちがいたからでした。いや、オレが死んだらあの子達はどうなるんだ、というか、単純に、子どもたちのことが頭をよぎって、それで何とかとどまれたんです。

 

でも、そういう存在がいなかったとしたらどうだったか。

そんなことさえも考えられないほどに追い詰められてしまっていたらどうか。

おそらく、自ら命を絶った人はほとんど、そんな風に追い詰められていたんだと思います。そして、もう眠りたい、と思うように死んでいったのではないかと思います。

今の社会は、そんな風に人々を追い詰めている社会なんだと思います。

 

マザー・テレサのこんな言葉があります。

「人間にとって最も悲しむべきことは、病気でも貧乏でもない。自分はこの世に不要な人間だと思い込むことだ。そしてまた、現世の最大の悪は、そういう人に対する愛が足りないことだ。」

あれだけ、病気や貧困に苦しむ人々のサポートをしたマザー・テレサが「人間にとって最も悲しむべきことは、病気でも貧乏でもない。」といってるんですね。

つまり、この競争社会の中で、ひとたびそのトラックから外れたら、もう自分はダメな人間なんだと思わされてしまう、それが最も悲しむべきこと」なんだと。

「勝ち組・負け組」という言葉に象徴されるように、常に何かと比較され、競争しなければならない社会。しかもほとんどの人が、自分の得意分野で勝負することも許されない。

グローバリズムという名のもとで、そのルールはどんどん画一化され、違うことをするだけで、なんだか社会からドロップアウトしたような気にさせられてしまう社会。

そしてその競争が、どんどん2極化を助長して、追い詰められ、自分はこの世に不要な人間だと思い込まされてしまう人々を生み出していく。

一見すると、モノがあふれ、豊かに見える社会で、でも、だからこそ、ほとんどの人がマネーゲームやコマーシャリズムの渦に巻き込まれてしまっている。

 

でも実は、そこに巻き込まれる原因は、自分達の「欲」にあるのかもしれません。

もっと便利な暮らしがしたい、もっと快適な暮らしがしたい、もっとおいしいものを食べたい、もっといい家に住みたい、もっといい車が欲しい、もっとお金が欲しい・・・

そんな欲求が奪い合いを生み、結果として2極化を助長しているのだと思います。そんなふうにモノを手に入れたからといって、幸せになれるかというと、そうではない。

ある意味で、商業主義の経済システムの中で洗脳された結果だともいえますが、自分が便利で快適な暮らしを追い求めることで、他の国でどういうことが起きているのか、他の人はどんな立場に追いやられているのか、自分だけの幸せを追ってしまうと、そういうことにも気がつかなくなってしまうのではないかと思います。

そういう心の荒んだ社会の中で、どんどん人と人とのつながりが絶たれていく。他人のことなんか知らない。共存はしていても、共生していない社会。

そんな中で追い詰められ、孤立して、周りはそんなことにも気づかず、自殺する人を生み出してしまうのではないでしょうか。

 

ですから、まずは近視眼的な思考をやめることが大切だと思います。

それが、私たちが人間としてこの世界で生きるひとつの意味なのではないかと思います。

ただ、そんな風に言うと、「やっぱり自分を犠牲にして社会のために生きないといけないのか・・・」というように思って、それはしんどいなぁ、と思ってしまう人も多いかと思います。

でも、そうじゃないんですね。

「自分を犠牲にして」というような感覚の活動は、やはりやってる本人もしんどくなってきてしまうし、それを見ている周りの人間もしんどく感じてしまい、それではなかなかその活動も広がらない。本人にとっても良くないし、周りのためにも、その活動のためにも良くないんです。

 

これは私自身の反省でもあるんですが、先程お話した、鬱になってしんどかったとき、友人に言われたんですね。

「お前のやっていることは、社会的にも意義のあることだと思うし、立派だと思うよ。でも、お前はどうなん?お前の家族はどうなん?」って。

言われてみれば、休みもとれずにやっていて、自分は自分の選択でやっているのである意味自業自得なんですが、でも、子どもたちと一緒に過ごす時間もなく、まだ小さい子どもを妻に任せっきりにしている。それで「豊かな社会をつくろう」なんていっても、誰も心から賛同できないよな、と。

理屈では納得しても、それが楽しくなかったり、しんどそうだったり、それで幸せになれそうじゃなかったら、人は動かないですよね。

それが逆に、「なんかめっちゃ楽しそうだよなー」とか「お金は儲からないかもしれないけど、なんかこんな暮らしって、すっごく幸せな感じがする」と思ったら、自分もやってみよう、とか、一緒にやろう、って思えるんじゃないかなと。

だからまず自分が楽しんでいいんだ、ハッピーになっていいんだと考え方を変えました。

 

こういう社会活動をしてる人って、往々にして、自分のことは置いといて、人のために一生懸命頑張る、みたいな人も多いわけですが、でも、それって、たとえ本人は別に歯を食いしばってやってるつもりじゃなくても、たいていの人からみると、しんどそうに映ってしまう。

たとえて言うなら、いくらのどが渇いていても、もっとしんどそうな人から、水筒にちょびっとし入っていない水を「あなたに分けてあげます。私は死んでもかまいません!」とか言われたら、そんなのもらえませんよね。(笑)

でも、こんこんと湧き出る泉があって、「いくらでも出てくるから、飲んでいってー!」って言われたら、何の遠慮もなく飲めるし、他の人にも伝えますよね。

つまり、そのためには、まず自分の「幸せの器」を一杯にすることが大事だと思うんです。

でも、それが難しいんでしょ、と多くの人はそれを「物質的な豊かさ」で一杯にしようと思ってる。そこでおかしくなるんですね。

でもそれでは、いつまでたっても「幸せの器」は一杯にならないし、そのうち奪い合いがはじまってしまうんです。

 

では、その「幸せの器」を満たすためにはどうするか?

自分の「心の泉」を掘らなきゃいけないんですね。

そして、今日はその「心の泉」を掘り起こす方法を5つお伝えしました。まずは3つ「フィジオロジー」「フォーカス」「ランゲージ」でしたね。あとの2つは、「感謝」そして「愛」です。

まずはこの5つを使って、自分の心の泉を掘り起こしてください。

そして、自分の幸せの器を一杯に満たしてください。

 

そして、それがあふれてきたら、その幸せは、自然とまわりに伝わります。

そして最後に、ぜひ生徒さんに伝えていただきたいこと。

それは・・・

「モノは分けると減りますが、幸せは、分けると倍増します!」

そうですよね。

自分だけの幸せはいつまでたっても1人分ですが、誰かを幸せにすることができたら、その分、自分の幸せも増えますよね。その気になれば、それは際限なく増やしていくことができるわけです。

そういう意味では、先生方は毎日毎日、何十人もの生徒たちと、幸せを分かち合って、何十倍にもすることができるってことですよね。そのカギは皆さんが持ってるんです。

そして、それを伝えることができれば、その子どもたちもきっと、幸せを増やしていく人になってくれると思います。

これからぜひみなさんと一緒に、そんな幸せの種をまいていけたらと思いますので、またこれからもよろしくお願い致します。

今日はありがとうございました!

(以上、講演録より)

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